赤ちゃんポストの夢
理事長 五十嵐教行
先日、こんな夢を見た。ラジオのインタビューの仕事で、とある大学の医学部に来ている。私の前には10数人の医学部生がいて、私は彼らに質問をするのである。「赤ちゃんポストについて、医者のたまごである皆さんたちはどう考えますか」彼らは互いの顔を見合わせながら、その中の一人がマイクに近づいてきて・・・。そこで私の夢は終わっている。目が覚めたわけではないのだが、その続きはない。あの医学部生が何を話してくれようとしたのか、自分としてはそのあともけっこう気になっている。そこで今回は、あらためて赤ちゃんポストについて考えてみたいと思う。
赤ちゃんポストとは、新聞やインターネットなどの情報によると、熊本市内の病院が親がさまざまな理由で養育できない新生児を受け入れるために、病院敷地内の病棟の外壁に穴を開けて「窓口」をつくり、その中で新生児を寝かせることができるようにしたもので、正式名称を「こうのとりのゆりかご」という。我が国初の赤ちゃんポストの導入を決めた医療法人聖粒会の慈恵病院の事務部長は、「中絶や置き去りなどで子どもの命が失われることを防ぎ、同時に中絶でダメージを受ける母親を救うためにできることをしたい」と話しているということである。
この赤ちゃんポスト設置をめぐっては当然賛否両論があり、大きく分けると養育放棄や捨て子を増やすのではないかということと赤ちゃんの命を助けるということの2つである。 みなさんはこの赤ちゃんポスト設置についてどう考えるのだろうか。赤ちゃんポストが報道されたとき、私はどう考えたか。赤ちゃんが生まれる、あるいは生まれたという「現実」はある人にとってはとても深刻な事態をもたらすものなのだとあらためて感じさせられ、そういう現場にいる人たちにとっては容易に割り切れないものがもたらされるのであろうかと考えさせられた。
望まないのに身籠もってしまった女性の話しをレイプの後日談の一つとして聞いたことがある。「虐待」の問題は私の研究領域の一つでもあるが、時期をおいて出現するあらたな「現実」は本当に厳しい選択を迫るものだと思う。生むことはつらい。ましてや育児などさらに苦しい。しかし、赤ちゃんに罪はない。周囲は○○という。自分は・・・。それでも静かに時間は過ぎていく。この難問を赤ちゃんポストが救ってくれると感じる人はいるのだろうと思えてくる。
ところで命を救う医師が時にその逆を行わざるを得ない時、彼らは何を考えるのだろう。医師でもなく当事者でもない私たちはまた何を考えるのだろうか。私はハッキリとした答えをなかなか出せずにいて、そのうちになんだか忘れてしまっていたら上記の夢を見た。
それにしても、あの医学部生は何を話してくれようとしたのだろう。