猫の手も借りたい
理事長 五十嵐教行
この言葉を知らない人はいないだろう。忙しい時に使う言葉だ。「『猫の手も借りたい』ほど忙しい」と言う。この言葉についていろいろと考えてみたい。
まず『猫の手』だ。果たして猫には「手」があるのだろうか。私の知る限り、猫には前足と後ろ足があるのみで、手部はない。しかし「手」はあるのだ。なぜなら「猫の手」と言ってもだれも不思議がらないし、明らかにおかしいのに、大昔から誰も気にしてこなかった。
ところで、そもそもなぜ「猫」の手なのかという疑問が出てくる。これについてはわからないでもない。猫は私たちの生活に深く入り込んでいるからだ。私は猫を飼っているが、私の書斎のドアを開けっ放しにしておくと、猫がいつの間にか入っている。書斎にもどって来てみると、たいてい机の上に鎮座していることが多い。キーボードの上に鎮座していた時は、「き」の文字が百何ページにも渡って入力され続けていたことがことがあった。「きききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききき」という感じだ。モニターが何か意思を持った生き物のように感じられたりする。しかし、だ。私はその画面で原稿の執筆をしていたわけだから、自分の入力していた原稿が消えていないかどうか、まずはそれが心配で、すぐに猫をどかしたいと思う。しかしながら、猫がおどろいてキーボードの上でジャンプなんぞをされたら、そのはずみでさらに何か違うキーを押してしまうのではないかと不安に駆られるので、そーっと近づき、ひょいと猫を抱きかかえてどかすことになる。
不思議なことに、これまでこうしたことが起きたのは私が原稿の締め切り間近で時間がないという時であったのである。「まったく、もう!なんで人が忙しい時にこんなことをするんだと」と猫に言おうとしても、すでに猫の姿はない。心を鎮めてから、いすに座り、ヤツがやらかした「ききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききき」を消去していく。それにしてもなぜ「き」だったのかと、キーボードの文字配列とヤツの体重の重みのかかったポイントを想像しながら、ふと考える。
「忙しい時には猫の手は借りない。絶対」と。
蛇足
驚くことに、同じ四本足の動物である犬には「手」がある。飼い主が犬に向かって「お手!」と言うと、犬は自分の前足を飼い主の手のひらにのせる。あの瞬間、飼い主も犬も前足を「足」から「手」に認識を変えているのだとと私はにらんでいる。それにしても、なぜ「お手!」と言うのだろう。「前足!」ではダメなのかなあ・・・・・。