「十五でねえ姐やは嫁に行き」を誤解していた
理事長 五十嵐教行
私たちが口ずさむ歌のなかでも、歌詞はよく知っているのに、その歌詞の意味を取り違えていたりしたことはないだろうか。恥ずかしい限りだが、私は「赤蜻蛉」の歌詞の内容を今の今まで誤解していた。歌詞は次の通りである。
- 夕焼け、小焼けの あかとんぼ
負われてみたのは いつの日か。 - 山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか。 - 十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた。 - 夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先。
誰もが知っているこの「赤蜻蛉」は、三木露風作詞、山田耕筰作曲で大正10年に生まれた童謡である。三木露風がトラピスト修道院において講師をしていたときに作ったもので、幼少時に見た赤とんぼの風景を描いたものである。
さて、私の誤解である。まず一番の「負われてみた」を、ずっと「追われてみた」と思っていた。だから私の中では、赤トンボの群の中で、子どもが赤トンボと追いつ追われつのかけっこをしている風景を浮かべていたのである。次に三番の「十五で姐やは嫁に行き」の部分である。その子どもの「お姉さんが15歳でお嫁に行った」と考えていたのである。昔は15歳でも結婚したのだなと勝手に解釈していた。
本当の意味はどうなのか。まず「負われてみた」は「背負われてみた」なのだ。「負う」は「背負う」という意味なのである。そして「姐や」は「姉」ではなく、「子守娘」のことなのだというのである。三木自身が『赤とんぼの思ひ出(日本童謡全集S12)』に「・・・姐やとあるのは子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである・・・」と書いている。実際、三木に姉はいない。さらに、子守娘は15歳で嫁に行ったのではなく、三木が15歳になった時に嫁に行ったということなのである。自分の誤解のすごさに素直に驚いてしまう。
三木の両親は、三木が7歳の時に離婚をしている。母親がだらしない生活を送っていた父親を嫌って家を出ていったのだ。三木は祖父の家に引き取られるが、そこで出会ったのが、お手伝いとして雇われていた三木の子守娘となった「姐や」なのである。この「姐や」は母親のいない三木をかわいがってくれたということだ。
「赤蜻蛉」は、三木が自身のさびしい幼少時代の思い出を歌ったものなのである。
それにしても・・・私の誤解は、事実を知れば知るほど滑稽に思えてくる。きっと他にも誤解している歌があるに違いない。そっと調べてみようと思う。